氷室冴子さんの「偲ぶ会」ご報告 ― 2011/06/07
6月4日、今年も早稲田の「龍善寺」にて、ジャパネスクの原作者である、氷室冴子さんの「偲ぶ会」が行われました。
田中二郎さんの主催で、漫画家は私のほかに藤田和子さんが参加されていました。
当日はちょっと暑いけれど、過ごしやすいお天気で、法要は午後2時から。
お経をあげていただき、ご焼香のあとに、参加者も含めてのお経の唱和があり、副住職さんからのお話をうかがいました。
その後は、近くにある地域センターのお部屋を借りて「茶話会」となりました。
去年はお寺さんのお部屋で行われた茶話会ですが、今年はお寺さんが一部工事中のため、ということです。
今回は氷室さんのご親戚の方もいらしていて、興味深いお話も伺うことができました。
また、去年と同じように、参加者の方々の「自己紹介」がありました。
去年もみなさまの語られる熱い想いに圧倒されましたが、今年もまた、すごかったです(笑)。
基本的に「いかに『氷室作品』と出会い、ハマり、影響を受け、今にいたるか」という感じのお話なのですが、その内容が濃くて。
氷室さんの前期の作品は、「少女小説」というジャンルで書かれたものが多いために、作品との出会いが思春期前後という方が多く、ハマり方がハンパないというか。
まさに「人生を左右された」という感じです。
氷室作品を読んで、将来の進路を決めた方や、今も生きるための指針としている方。
無意識に、氷室さんにゆかりの名をお子さんにつけていて、びっくりという方。
以前は瑠璃に感情移入をしていたけれど、今は内大臣の苦労がわかるという方。
ハマった当時のハマりっぷりの熱さが、熱すぎる方など。
また、氷室作品を通じて、新たな交友関係が広がった方々もいらっしゃいました。
その場に集まった方は、みな氷室さんのファンなので、共通文化と共通言語がいっしょというか、お話の内容がすぐに相手に伝わるしあわせを楽しんでおられたようです。
自己紹介でのお話の中で、よくはさまれた言葉に、こういうものもありました。
「私は当時高彬派でした」
「私は鷹男派でした」
「私は当時は少数派の吉野君派でした」
「途中で守弥派になりました」
等など。
そして、好きなキャラクターの名前が出るたびに、同じ派閥の方々が「うんうん」という感じで頷いてました。
みなさん、オモシロすぎます。
また、氷室さんのお友だちが、遺影と同じ氷室さんの着物や帯を持参されて、花札の帯や、トンボ柄のポップな柄の帯など、その変わった柄にも盛り上がりました。
私は「氷室さんにゆかりのもの」ということで、今回も写真や本を持参しました。
このブログにもアップした「吉野、長谷寺」の写真や、「最寓歴史博物館 総合案内」という、博物館の展示物などを解説した本。
これは、氷室さんが訪れた博物館でもあり、ファンの方には平安スキーの方も多いかもということで持参しました。
あと、今回は1990年4月に発行された、氷室さんの著書「冴子スペシャル ガールフレンズ」(集英社コバルト文庫)も持参。
「対談あり、アンケート回答あり、よそに書いた原稿あり、イラストギャラリーあり、執筆中の下原稿ありの、このバラエティー本『氷室冴子スペシャル ガールフレンズ』です」(本書まえがきより抜粋)
という本で、偲ぶ会の前日に、ふと思い出して手に取ってみましたら、持っている方も懐かしく思われるかもと思い、急遽荷物の中に入れました。
私も、イラストと氷室さんとの対談で、参加させていただいてます。
そしてその「ガールフレンズ」ですが、
氷室さんとの対談のときの、「吉野の温泉行きましょうよ」という会話から、氷室さんとの「吉野行き」が決まったのだということを思い出しました。
そうなんです。
そんな流れから決まったのに、すっかり忘れていました(汗)。
この対談は1990年2月末に行われていて、対談中に、小説の「なんて素敵にジャパネスク 5巻」が出たと書いてあります。
次の6巻の発行が同じ年の7月(奥付より)なので、読者はまだこの先を知らず、さぞ「これから後宮に乗り込んでやる!」という、鼻息荒い瑠璃のその後が気になっていた頃だろうなあと、苦笑してしまいました。
いろいろと懐かしいご本です。
「茶話会」は、5時過ぎにはおひらきとなり、会で知り合った方々で二次会へと流れてゆきました。
ほんとうに「偲ぶ会」を通じて、氷室さんがご縁を結んでいるなあと思います。
毎年、いろいろな方のお話を聞いて、私の知らない氷室さんの一面を知り、それがまた法要のときの楽しみとなってきています。
来年もまた、参加したいなあと思わせられる、良い会でした。
田中二郎さんの主催で、漫画家は私のほかに藤田和子さんが参加されていました。
当日はちょっと暑いけれど、過ごしやすいお天気で、法要は午後2時から。
お経をあげていただき、ご焼香のあとに、参加者も含めてのお経の唱和があり、副住職さんからのお話をうかがいました。
その後は、近くにある地域センターのお部屋を借りて「茶話会」となりました。
去年はお寺さんのお部屋で行われた茶話会ですが、今年はお寺さんが一部工事中のため、ということです。
今回は氷室さんのご親戚の方もいらしていて、興味深いお話も伺うことができました。
また、去年と同じように、参加者の方々の「自己紹介」がありました。
去年もみなさまの語られる熱い想いに圧倒されましたが、今年もまた、すごかったです(笑)。
基本的に「いかに『氷室作品』と出会い、ハマり、影響を受け、今にいたるか」という感じのお話なのですが、その内容が濃くて。
氷室さんの前期の作品は、「少女小説」というジャンルで書かれたものが多いために、作品との出会いが思春期前後という方が多く、ハマり方がハンパないというか。
まさに「人生を左右された」という感じです。
氷室作品を読んで、将来の進路を決めた方や、今も生きるための指針としている方。
無意識に、氷室さんにゆかりの名をお子さんにつけていて、びっくりという方。
以前は瑠璃に感情移入をしていたけれど、今は内大臣の苦労がわかるという方。
ハマった当時のハマりっぷりの熱さが、熱すぎる方など。
また、氷室作品を通じて、新たな交友関係が広がった方々もいらっしゃいました。
その場に集まった方は、みな氷室さんのファンなので、共通文化と共通言語がいっしょというか、お話の内容がすぐに相手に伝わるしあわせを楽しんでおられたようです。
自己紹介でのお話の中で、よくはさまれた言葉に、こういうものもありました。
「私は当時高彬派でした」
「私は鷹男派でした」
「私は当時は少数派の吉野君派でした」
「途中で守弥派になりました」
等など。
そして、好きなキャラクターの名前が出るたびに、同じ派閥の方々が「うんうん」という感じで頷いてました。
みなさん、オモシロすぎます。
また、氷室さんのお友だちが、遺影と同じ氷室さんの着物や帯を持参されて、花札の帯や、トンボ柄のポップな柄の帯など、その変わった柄にも盛り上がりました。
私は「氷室さんにゆかりのもの」ということで、今回も写真や本を持参しました。
このブログにもアップした「吉野、長谷寺」の写真や、「最寓歴史博物館 総合案内」という、博物館の展示物などを解説した本。
これは、氷室さんが訪れた博物館でもあり、ファンの方には平安スキーの方も多いかもということで持参しました。
あと、今回は1990年4月に発行された、氷室さんの著書「冴子スペシャル ガールフレンズ」(集英社コバルト文庫)も持参。
「対談あり、アンケート回答あり、よそに書いた原稿あり、イラストギャラリーあり、執筆中の下原稿ありの、このバラエティー本『氷室冴子スペシャル ガールフレンズ』です」(本書まえがきより抜粋)
という本で、偲ぶ会の前日に、ふと思い出して手に取ってみましたら、持っている方も懐かしく思われるかもと思い、急遽荷物の中に入れました。
私も、イラストと氷室さんとの対談で、参加させていただいてます。
そしてその「ガールフレンズ」ですが、
氷室さんとの対談のときの、「吉野の温泉行きましょうよ」という会話から、氷室さんとの「吉野行き」が決まったのだということを思い出しました。
そうなんです。
そんな流れから決まったのに、すっかり忘れていました(汗)。
この対談は1990年2月末に行われていて、対談中に、小説の「なんて素敵にジャパネスク 5巻」が出たと書いてあります。
次の6巻の発行が同じ年の7月(奥付より)なので、読者はまだこの先を知らず、さぞ「これから後宮に乗り込んでやる!」という、鼻息荒い瑠璃のその後が気になっていた頃だろうなあと、苦笑してしまいました。
いろいろと懐かしいご本です。
「茶話会」は、5時過ぎにはおひらきとなり、会で知り合った方々で二次会へと流れてゆきました。
ほんとうに「偲ぶ会」を通じて、氷室さんがご縁を結んでいるなあと思います。
毎年、いろいろな方のお話を聞いて、私の知らない氷室さんの一面を知り、それがまた法要のときの楽しみとなってきています。
来年もまた、参加したいなあと思わせられる、良い会でした。
